「ナイチンゲール看護論」とは

 ナイチンゲール自身が「ナイチンゲール看護論」という書物を書いた事実はありません。彼女は150点もの印刷文献を書き残していますが、その中には「看護論」と名づけられた著作は一編もないのです。

「ナイチンゲール看護論」という表記は、ナイチンゲールの著作を読み込んだ人々が、自己の見解を書き記(しる)す時に表記したタイトルです。

 ですから、「ナイチンゲール看護論」は語る人の数だけ存在することになり、どれが正しく、どれが間違っているかなどと判定できるものではありません。その意味で、私が語る「ナイチンゲール看護論」も、金井一薫がナイチンゲール著作集、とりわけ『看護覚え書』現代社版を主軸として読み込み、自己の見解をまとめたものです。しかしそうはいっても、『看護覚え書』を土台として「ナイチンゲール看護論」を書くという仕事は、簡単なことではありません。

 私にとって『看護覚え書』は座右の書です。現代社版の翻訳書は、ほとんど暗記しているほどに読み込んでいます。

 『看護覚え書』は不思議な本で、読み返すたびに新たな発見があり、気づきがあります。最近、私はナイチンゲールには生理学者や生物学者としての素養がたっぷりとあるということに気づかされました。そしてこの気持ちは、ナイチンゲールが提言した〈病気とは回復過程である〉という内容を、今日的視点で解いていったとき、確信に近いものとなりました。

 彼女の提言は、現代における生命科学の知識をもって解くと、実によく理解できるのです。そしてそれに続く〈看護の定義〉の措定は、見事なまでの論理に裏付けられたものでした。

 ナイチンゲールは、決して〈看護は神秘的〉だとは考えていませんでした。それどころか、看護は科学的思考を要する仕事であり、看護を行うためには、人体内部の構造や機能、また病気という現象を【看護の眼と頭】で観察し、病人一人ひとりが営む生活を、生命の法則に沿うよう創り変えていくことが基本なのだと教え続けたのでした。

 私は25年前に『ナイチンゲール看護論・入門』を出版しましたが、今、再び自身が読み解いて描き出した「看護の世界」を、あらためて「ナイチンゲール看護論」と名づけ、世の中に彼女の思想を広げたいと考えています。

 科学者であり、生命哲学者でもあったナイチンゲール!

 皆さまも是非、「ナイチンゲール看護論」の世界を通して、21世紀のナイチンゲールに出逢ってみてください。

 

「看護の定義=介護の定義」

 「ナイチンゲール看護論」では、【看護の定義】と【介護の定義】は同じであると説いています。それはナイチンゲールが『看護覚え書』をとおして教示した「本来の看護」の姿が分かれば、自ずと理解できるでしょう。

「看護の定義」を、金井一薫の言葉にして書き記してみます。

 看護とは、体内で働く自然治癒力(生命の回復のシステム)が発動しやすいように、患者を取り巻く生活のすべてを、生命力の消耗を最小にするように、最良の条件に整えることである。

介護者の方は、「看護」を「介護」に、「患者」を「利用者」に読みかえて学んでください。

 

金井 一薫の「5つのケアのものさし」

 『看護覚え書』を読むと、そこには「看護であるものとないものを見分ける眼」が浮き彫りにされています。つまり『看護覚え書』には、行われた看護が〈看護であったか〉〈看護でなかったか〉を判定する〈ものさし〉の発想が存在するのです。

 そこで、ケアを判定し、ケアを方向づける〈5つのものさし〉を考案しました。初出は1991年ですから、すでに30年近くが経過しています。しかしこの〈5つのものさし〉は、看護・介護現場や教育現場で有効に活用されて、今日に至っています。

<5つのケアのものさし>

  1. 生命の維持過程(回復過程)を促進する援助
  2. 生命体に害となる条件・状況をつくらない援助
  3. 生命力の消耗を最小にする援助
  4. 生命力の幅を広げる援助
  5. もてる力、健康な力を活用し、高める援助

 

 看護・介護は【いのちのしくみ】に則り、生命の維持過程を促進し、妨害しないケアを展開する活動です。この視点が第一のものさしになります。そして生命の維持過程を促進するためには、その時々の生命力の消耗を最小にするように生活を整え、またその時々のもてる力に力を貸していくケアのあり方が必要になります。この5つのものさしの方向軸にそったケアを展開することで、質の高い実践が実現します。

 〈5つのものさし〉は、非常に抽象度が高いのですが、それゆえに、どんな健康障害にも、どんな対象者(年齢や性別など)にも適応可能です。さらにケアが展開されているどのような場所においても活用できます。

 看護と介護はケアの目標を共有する兄弟・姉妹の関係にありますから、ものさしを使って、両者が協働し合える実践のかたちをつくることが求められています。

 「5つのものさし」の活用法などの詳細は、『ナイチンゲール看護論・入門』(現代社)をお読みください。

 

ナイチンゲール思想に出会って50年……金井一薫

 以下の手記は、1997年に『看護教育』Vol.41 No.8に掲載されたものです。

 今から20年も前の記事ですが、ここに書いた私の気持ちは、今に至ってもほとんど変わっていません。そこでまずは、私とナイチンゲールとの出逢いをお伝えします。


 私が下記のナイチンゲールの文章に出会ったのは、看護師の資格をとって間もない1970年のことだったと思います。

 看護の仕事は、快活な、幸福な、希望に満ちた精神の仕事です。
犠牲を払っているなどとは決して考えない、熱心な、明るい、活発な女性こそ、本当の看護師といえるのです。

(浜田泰三訳:ナイチンゲール書簡集、山崎書店1964年)

 これを読んで、ナイチンゲールは本物の看護師だと直感しました。以来、虚像でない実像のナイチンゲールに出会って見たい、そしてナイチンゲールが後世の看護師たちに残そうとしたものを極めてみたいとの思いに駆られて、ひたすらナイチンゲール思想の研究に打ち込んできました。 そのナイチンゲールとの付き合いは、とうとう我が人生の半分を超えて30年にもなり、時代は新たな世紀に入ろうとしております。 

 この30年間、ナイチンゲールの生い立ちを研究し、彼女の著作の大半を繰り返し、繰り返し読み、英国にその揺籃の地を訪ねて彼女の生きた証を確かめ、そしてナイチンゲール思想を今日とこれからの我が国の看護の世界に、どう結びつけていくべきかを考え続けました。
 その結果、若い頃は曖昧模糊としていた「看護の原理」が、今では私の内にくっきりとした形となって現れてきました。これは一看護師として何にも代え難い悦びであり、ナイチンゲール研究を続けてきて幸せだったと心から思っています。


 私は看護という仕事が好きですし、この仕事の真価が多くの人々に理解され、実践されることを心から願っています。そのためには、何よりも看護を提供する看護者自身が、己の仕事の真価を知り、その実現に向けて研鑽を積む努力を惜しんではならないと思います。

 しかしながら、日本の看護者の大部分は、まだ「看護の原理」を確固鮮明にはつかんでいないように見受けられます。あまりにも多くの言葉が語られ、あまりにも多くの出版物が溢れる時代になりましたが、実践家としての看護者の心は、いまだに不安定に揺れ動いています。「看護って一体何だろう?」「看護はこれでいいのだろうか?」と。これでは、せっかくナイチンゲールが究明し後世に伝えようとした「看護の真髄」が、継承されているとは言い難いのです。

 そこで私は、私自身がつかんだナイチンゲール思想を語り継ぎ、再構成する役割を担おうと決心しました。幸いこの20年間、看護界からの熱意ある要請を、頻繁にかつ絶えることなくいただきました。その要請に答えるべく、内的な準備に専心しているうちに、私のナイチンゲール研究は、それと並行してさらに深行していきました。その意味では、我が国の看護界が私を支え、応援し、くじけることなく一筋の道を歩むことを許容してくださったのだと、感無量の思いです。また個人的にも多くの先輩諸氏から、学問的なご教示や臨床看護師としての成長へのご鞭撻をいただきました。その学恩やご教導に対して私は、私の後に続く方々に、形を変えてご恩返しをしていきたいと思っています。

(『看護教育』Vol.41 No.8から転載)

(1996年8月 ナイチンゲール家のお墓の前で)